合理的配慮を受けて思ったこと

大学の施設において合理的配慮を使用した感想についてここでは述べる。

そもそも合理的配慮とは、インクルージョンの一貫であり、インクルーシブ教育という健常児と障害児が同じ空間で教育が受けることができ、特別支援といった排除されることなくともに学ぶことでよりよい「共生社会」にしようというものである。サラマンカ宣言やSDGs4にも教育の目標として掲げられている。

 

私はうつ病(主症状)と広汎性発達障がい(背景)と診断されており、合理的配慮をお願いするときになぜか書類に広汎性発達障がいだけが書類に記載された。主症状のうつ病ではなく、背景にある広汎性発達障がいを合理的配慮として対策をとることを講じられた。

また、臨床心理学を学んだ教授、カウンセラー、職員もそれほど人の心理に興味がないことは残念に思った。特にある特任教授は1:1の会話をするときに私の目を見ていないし真顔なのか無表情なのかはたまた素の顔というべきなのか、明らかに話を聞いていないように感じたし、メモをとってないから「友達いるの?」「会話できるの?」といったことを会うたび会うたび聞かれて、3,4回聞いてくるものですから、話に興味がないんだなと強く感じた。

また、友達の有無について聞くことの裏側の意味として「友達がいても少ないんでしょ」というのが感じ取られ、いい気分ではなかった。

あと、合理的配慮のニーズに関する質問を表面だけの会話で行わられ、ニーズに合わないこともあった。それはもしかしたら私が障害と健常の間の、言い換えると黒(障害)、白(健常)のときにグレーになるということ。

いわゆるグレーゾーンではどこまで配慮してここは配慮しないという戦略も難しく合理的配慮を受けて得も損もしなかった感じがした。

 

私の経験上、人に興味があるといえるのは50%かな?と思う。(基準は世の中の平均として)

まあ心理を勉強しているから人に興味があるわけでもなく世間の人と同じ感じじゃないかなと思う。

 

終わりに合理的配慮についての理解、インクルージョンの理解につながる経験にはなったので良かったと思う。