日本における幸福度と「民主主義」の後退

 

 

カンボジアに関するある本を読んだ。その本には障がいや貧困下にもかかわらず幸せそうな屈託のない笑顔の写真があった。それは確実に作り笑顔ではないように思われる。

私はインドネシアにボランティアにいったときに日本と違って人々がみな幸せに映った。まるで自分らしい生き方をしているようにも感じた。日本の人々とは違い日々の日常を心にゆとりを持ちながら生きているかのようであった。

私はこの生き生きとしたような幸福感に関して日本との違いは何であろうかと日々考えている。

他方日本は物質的にも金銭的にも満たされているにもかかわらず、毎日齷齪している感じが伝わってくる。日本人の幸福度の低さは何ゆえであろうか。

日本人は周りの空気を読みすぎて周りに過度に合わせている、自我をもっていないように感じられる。これからは「個」の時代と言われていながら、個性的な生き方が望まれるような風潮は感じられず、古く伝統的な価値観が強く根付いている。これは日本が変化を嫌うためだ。

ちなみに「世界幸福度ランキング2019版」では健康寿命は二位(74.8歳)、GDP24位、自由度64位、寛容さ92位、腐敗のなさ39位であった。この結果からは自由度と寛容さの低さが目立つ。

日本は自由な意思決定や価値観に対して尊重されることは他国と比べて低く、会社においても出社時間と退社時間が決められている。出社時間と退社時間を自分で決められる国もある一方で日本はそのような風潮があるようには感じにくい。寛容さについても年功序列が強く根付いている会社では上司が間違っていてもあらがうことを許されない空気が漂う。

 

私がアルバイトをしていたときも、「なんでこうしないといけないんですか?」と聞いても「上がそういう風にしてるもん」と思考停止にもほどがあると感じた。私はいくつかの会社でアルバイトをしたがどこもまるで「独裁組織」のように逆らうだけでなく、意見すらさせてくれないところもあった。会社そのものが所謂一つの「独裁国家」のように毎回感じるのは私だけであろうか。大学の先輩とも話したことがあるが「日本はもはや先進国ではない」。そう強く感じる。

また日本は障がい者を含めたマイノリティ、外国人に対して嫌悪感を抱く傾向が強く、マイノリティへの差別や偏見は開発途上国だけの問題ではない。

「民主主義の後退」というワードが近年ではあるが、マイノリティに冷たい日本はもとから「民主主義」が欠落していたのではないかと思ってしまう。

寛容性についてもテレビ番組ではみな同じような意見をコメントする、コロナ禍で自粛警察が登場し自粛しない人をバッシングする、日本人にはみなに合わせるのがよいとされ人の目ばかり気にしている。明らかに日本の選挙を見るよりアメリカの選挙のほうがおもしろいと感じてしまう。

 

もちろん、その日本ならではの暗黙の了解や協調性というのはときに集団の力として災害のときにはプラスに転じることもあると思う。

 

しかしながら、有権者である国民の投票なくては日本の政治は変わらないのに現状から変わることを恐れ自分たちの意思表示をしない日本人。

開発途上国とは違った日本ならではの問題が影を潜めている。