障がいとエクスクルージョン

近年、「発達障がい」という言葉は世間に広まった。

大阪の小学校の話でパンフレットによると、220 人 ぐらいの生徒数で 30 人ぐらいが発達障がいの傾向があると言われていた。また、文部科学省の調査では、だいたい通常学級の 6.5%といわれている。大体10%の人が発達障がいであると考えられている。

発達障がいには注意欠如多動性障がい(Attention Deficit Hyperactivity Disorder、 略称 ADHD)や、自閉症スペクトラム(Autistic Spectrum Disorder、略称 ASD)、それに学習障がい(Learning Disorder、略称 LD)がある。

発達障がいをもった子どもの学校生活は壮絶なことが多い。また、発達障がいといじめには関連性があり、Wainscot et al.(2008)が イギリスで行った調査でも、アスペルガー障がい、高機能自閉症の子どもの約 85%が、週に1回以上の 「いじめ」被害を受けていることを報告している。

Sofronoff, Dark, & Stone(2011)では、アスペルガー障がい(ASD)の子どもをもつ保護者を対象に調査を行い、定型発達児に比べてアスペルガー障がい(ASD)をもつ子どもは、社会的に脆弱である(social vulnerability)こと や、そうした社会的な脆弱さが、「いじめ」と関連することを示唆する結果を得ている。

 

ASD 傾向に関しては、特定の事柄に対するこだわりがとても強く、ADHD 傾向に関 しては、『忘れ物』がとても多い、教室内の行動等で問題となりうる「多動性」「衝動性」は先生を呆れさせるだけでなくやたら目立つため、私の中学校ではそういった「問題児」はいじめられてもしょうがないという風潮もあった。先生もいじめられていることを見て見ぬふりをしていた。

先生もそういった子には対応することを煩わしく感じていると傍から見て感じた。

私の実体験では発達障がい傾向の子の対応に煩わしく感じた先生が「いつも迷惑かけやがって、もう学校くるな」と言われた結果、不登校になった生徒もいた。インクルージョンといわれながら、マイノリティ差別のあったエクスクルーシブな社会であった。

インクルーシブ教育とは、「障がいのある者とない者が共に学ぶことを通じて、共生社会の実現に貢献しようという考えで2006年12月の国連総会で採択された「障がい者の権利に関する条約」で示された。

「インクルーシブ」という言葉はよく掲げられるが、塾のアルバイト経験で生徒から話を聞く限り、私が学生のときとは変わった感じはしない。「インクルーシブ教育」が学校において同じ空間にいることを重視し、その弊害による差別や偏見の問題は解決されるような雰囲気は感じられない。

 

(references)

Sofronof f, K., Dark, E., & Stone, V. (2011). Social vulnerability and bullying in children with Asperger syndrome. Autism, 15, 355-372

Wainscot, J. J., Naylor, P., Sutcliffe, P., Tantam, D., & Williams, J. V. (2008). Relationships with peers and use of the school environment of mainstream secondary school pupils with Asperger syndrome (high-functioning autism) : A case-control study. International Journal of Psychology and Psychological Therapy, 8, 25-38.

近年増える発達障がいと診断基準

所謂近年世間に知れ渡る「発達障がい」(神経発達障がい)について判断基準が少しずつ変わっている。DSMというものに基づいて診断基準が定められているが、今はDSM-5(米国精神医学会診断マニュアル第5版)という2013年5月に発表されたものを基準にしている。

1990年代に自閉症アスペルガー障がい、特定不能の広汎性発達障がいなどを広汎性発達障がいの連続体としての1要素として捉え「自閉症スペクトラム」という概念が提唱されたものの、高機能自閉症アスペルガー症候群の差異が明確ではなく、知能指数の高低が認知にどのように影響するかを検証する必要性があった。

ちなみに、その「連続性」というのは、非常に曖昧なものだと私は感じている。黒か白かといったらグレーであり、白とも黒とも言い難い。例えば、「状況把握が少し苦手という人」もこの診断のレッテルが貼られるという危険性のある診断基準でもある。

さらに、PDD(広汎性発達障がい)とASD自閉症スペクトラム障がい)には、似ているが少し違う点もあり、PDDと診断されている者のうち、約4分の1が自閉症スペクトラムと診断できないと示している。

PDDには「不特定の障がい」という項目があり、近年発達障がいが増えるというより、発達障がいの傾向がある人が含まれるようになったと私は判断している。こうした精神に関わる障がいとは目に見えず解釈やカテゴライズが難しいと感じる。

<参考文献> 高橋泰子,石川健二,橋本篤孝(2014)DSM-5における神経発達障がいの診断基準.Journal of Osaka Kawasaki Rehabilitation University Vol.8.No.2.2014 pp.122-133

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モーズレイ性格検査

昨日受けたモーズレイ性格検査(Maudsley Personality Inventory:MPI)はロンドン大学教授H.J.アイゼンクにより作成された質問紙法の性格検査である。MPIは国際的にも広く使われる性格検査と言われている。性格検査といえど作業検査法、投影法から今回のような質問紙法がある。質問紙とは、質問項目に被験者が答え、回答結果を点数化することによりパーソナリティをとらえる検査で、検査の施行と結果の整理が簡単という利点があるものの、被験者の意識的側面しかとられられない、意図的な回答の欺瞞に弱いという短所もある。

 

代表的な質問紙法:

• 主要5因子性格検査(BigFive)

• 児童・生徒向け主要5因子性格検査(Five Factor Personality Inventory - Children (FFPI-C))

• YG性格検査(矢田部-ギルフォード性格検査)

• MMPI(ミネソタ多面人格目録)

• MPI(モーズレイ性格検査)

エゴグラム

がある。

 

今回のMPIでは、

(A)外向性 (extraversion)、内向性 (introversion)、

(B)神経症的傾向 (neuroticism)を測るための性格検査とされる。

神経症的傾向(N尺度)および外向性(E尺度)、虚偽発見尺度(L尺度:Lie Scale)を測ることができる。

 

ところでL尺度にて①うそをついたことがあるか?②不利になるとわかっていても役所などに確実にバレない書類を提出するか?という質問があった。

ちなみにこのMPIの質問には見覚えがあったので過去に就活等で受けたと思われる。

 

私はこれまでに就活で受けた性格検査にてこのような質問をバカ正直に答えた、悪い意味で個性豊かなこと等の理由故に数十社をお見送りされて返事でよく「真面目すぎるから落とした」「あなたのマインドがうちに合わないから落とした」と言われた。

真面目すぎることはダメなことなのか、と思い、このような質問が来たときにはいつも固まってしまうようになった。

うそぐらい「人」であればついたことあるであろうし、会社はどう回答してほしいかを考えるといつも悩む。

 

どこの会社も性格検査を行い、多くの会社は「実力」よりも性格を重視する傾向があることには不思議に思うがこれが日本の特徴かもしれない。

話が変わってしまったが、性格テストといった短時間で性格等がわかるのは便利だし自分の性格もわかるので自己分析として受けたりするのもよいだろう。

血液型となりやすい病気

血液型をわけるとA,B,O,ABの4種類にわけられ、「ABO式血液型」と呼ばれる。輸血をするときは同じ血液型同士でおこなうのが原則であるがO型だけは他の血液型の人に輸血することができる。

血液型によってかかりやすい病気が変わる。

大きな怪我を負ったO型の人は、O型以外の人と比べて死亡率が高く、901人のデータからO型の死亡率は28%、O型以外の人の死亡率は11%であった。これはO型の人はフォン・ヴィレブランドという血液凝固因子が少ないからである。つまり血液が固まりにくいことをさす。ただ、血栓ができづらいことより、O型はO型以外の人と比べて心筋梗塞エコノミークラス症候群静脈血栓塞栓症)のリスクが低い。

 

A型は胃癌や唾液腺がん、自律神経失調症、B型はすい臓がん、糖尿病、インフルエンザ、O型は胃・十二指腸潰瘍、皮膚がん、自己免疫疾患、AB型は脳卒中認知障害になりやすい。

 

AB型が4血液型の中で最も弱く感染症にかかりやすい、O型は最も免疫力に優れる、B型はストレスに強い、A型は最も免疫力が少ないといった特徴をもつ。

もしかすると、このような血液の成分による病気のなりやすさなどが、所謂血液型ごとの特徴である性格形成に影響を与え、A型は「几帳面」O型は「おおらか」といった性格形成があるのかもしれない。

流行語「フェミニズム」と男女平等

昨今ではフェミニズムフェミニストという言葉が流行しているというかそのワードが独り歩きしている感じがする。太平洋戦争にて慰安婦として被害にあったことは近年では言うまでもなくお隣さんとは暗雲低迷である。フェミニストフェミニズムはそんな女性差別をなくし尊重しようというものである。近年よく「男女平等」とは言われるがフェミニズムを毛嫌いする人もいる。実際にアメリカでは男性への差別撤廃を求める運動=マスキュリズムが生まれた。一世紀前には日本で女性差別撤廃が謳われていたが今日においてそれが行き過ぎてしまったことが由来だろう。男女不平等の例として①男性が育児休暇がとりにくい、②レストランにレディースランチある、③雇用機会や賃金の不平等に関し男女に差がある。「男だから○○」「女だから○○」といった固定観念は現代でも根強い。データとしてもジェンダー・ギャップ*¹(男女格差を測る指標)では世界経済フォーラムが2019年において0.652で153か国中121位である。ステレオタイプにこうも拘りすぎて生きづらい人もいるであろうがなぜ多様性とかこれからは個の時代とは言われているが、社会の構成や偏見といった根本的なところは変わっていないような気がする。

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*¹この指数は経済、政治、教育、健康の4つの分野から作成され、0に近いほど完全不平等、1に近いほど完全平等を表す。

日本における幸福度と「民主主義」の後退

 

 

カンボジアに関するある本を読んだ。その本には障がいや貧困下にもかかわらず幸せそうな屈託のない笑顔の写真があった。それは確実に作り笑顔ではないように思われる。

私はインドネシアにボランティアにいったときに日本と違って人々がみな幸せに映った。まるで自分らしい生き方をしているようにも感じた。日本の人々とは違い日々の日常を心にゆとりを持ちながら生きているかのようであった。

私はこの生き生きとしたような幸福感に関して日本との違いは何であろうかと日々考えている。

他方日本は物質的にも金銭的にも満たされているにもかかわらず、毎日齷齪している感じが伝わってくる。日本人の幸福度の低さは何ゆえであろうか。

日本人は周りの空気を読みすぎて周りに過度に合わせている、自我をもっていないように感じられる。これからは「個」の時代と言われていながら、個性的な生き方が望まれるような風潮は感じられず、古く伝統的な価値観が強く根付いている。これは日本が変化を嫌うためだ。

ちなみに「世界幸福度ランキング2019版」では健康寿命は二位(74.8歳)、GDP24位、自由度64位、寛容さ92位、腐敗のなさ39位であった。この結果からは自由度と寛容さの低さが目立つ。

日本は自由な意思決定や価値観に対して尊重されることは他国と比べて低く、会社においても出社時間と退社時間が決められている。出社時間と退社時間を自分で決められる国もある一方で日本はそのような風潮があるようには感じにくい。寛容さについても年功序列が強く根付いている会社では上司が間違っていてもあらがうことを許されない空気が漂う。

 

私がアルバイトをしていたときも、「なんでこうしないといけないんですか?」と聞いても「上がそういう風にしてるもん」と思考停止にもほどがあると感じた。私はいくつかの会社でアルバイトをしたがどこもまるで「独裁組織」のように逆らうだけでなく、意見すらさせてくれないところもあった。会社そのものが所謂一つの「独裁国家」のように毎回感じるのは私だけであろうか。大学の先輩とも話したことがあるが「日本はもはや先進国ではない」。そう強く感じる。

また日本は障がい者を含めたマイノリティ、外国人に対して嫌悪感を抱く傾向が強く、マイノリティへの差別や偏見は開発途上国だけの問題ではない。

「民主主義の後退」というワードが近年ではあるが、マイノリティに冷たい日本はもとから「民主主義」が欠落していたのではないかと思ってしまう。

寛容性についてもテレビ番組ではみな同じような意見をコメントする、コロナ禍で自粛警察が登場し自粛しない人をバッシングする、日本人にはみなに合わせるのがよいとされ人の目ばかり気にしている。明らかに日本の選挙を見るよりアメリカの選挙のほうがおもしろいと感じてしまう。

 

もちろん、その日本ならではの暗黙の了解や協調性というのはときに集団の力として災害のときにはプラスに転じることもあると思う。

 

しかしながら、有権者である国民の投票なくては日本の政治は変わらないのに現状から変わることを恐れ自分たちの意思表示をしない日本人。

開発途上国とは違った日本ならではの問題が影を潜めている。

ロッテルダム条約

ロッテルダム条約(国際貿易の対象となる特定の有害な化学物質及び駆除剤についての事前のかつ情報に基づく同意の手続に関するロッテルダム条約)が1998年9月11日に採択された。条約事務局はUNEP(国際連合環境計画)とFAO(国際連合食糧農業機関)。

先進国にて発生した有害物質を開発途上国に輸出されることを防ぐことを目的としている。

有害物を先進国が開発途上国に輸出されたことはたびたびあり、開発途上国にて健康や環境への悪影響が生じることを防ぐべくこの条約が規定された。開発途上国は化学物質の有害性や危険性について先進国より詳しくない。ゴミ処理の概念にも乏しくゴミが山積みになることも。ゴミによって健康を害したり障がいを負うこともある。「塵も積もれば山となる」とあるようにほかっておくことのできない問題だ。

ロッテルダム条約の内容

 

1. 締約国は、条約の対象物質の輸入に同意するかどうかを事前に事務局に通報し、事務局はこの情報をすべての締約国に伝える(PIC回覧状)。輸出締約国はこれを自国内の関係者に伝えるとともに、自国内の輸出者が輸入締約国による決定に従うことを確保するための措置を取る。

2. 締約国は、ある物質について国内で使用を禁止又は厳しく制限した場合、その旨を事務局に通報する。事務局は複数の地域から上記の通報を受け取った場合、条約の対象物質に追加するかどうか専門家から構成される委員会での検討の上、締約国会議で決定する。

3. 締約国である開発途上国等は、危険な物質によって問題が起きた場合、条約の対象物質への追加を事務局に提案する。事務局はこの情報を全ての締約国に伝えるとともに、条約の対象物質に掲載するかどうかを委員会で決定する。

4. 締約国は自国において使用を禁止または厳しく制限している物質を輸出しようとする場合は、毎年、輸入国に必要な情報を添付した輸出通知を行う。

5. 締約国には、条約の対象物質や自国での使用を禁止または厳しく制限している物質を輸出する場合、人の健康や環境への有害性・危険性に関するラベルや安全性データシートの添付が求められる。

6. その他、化学物質の有害性等に関する情報交換、技術援助などを進める。