世界遺産プレア・ビヒア寺院の背景
プレア・ビビア寺院はカンボジアの世界遺産となっているが、背景には複雑である。過去にプレア・ビヒア寺院事件(Temple of Preah Vihear case)というのが、あり領土をめぐってカンボジアとタイが互いに領土を主張し合い、プレア・ビビア寺院の帰属問題をめぐって争った。「プレア・ビビア」はクメール語で「神聖な寺院」という意味である。ちなみにタイではこの寺院をプラーサート・プラウィハーンと呼ぶらしい。
結果としてバークの国際司法裁判所の判例によりカンボジアの帰属とされた。
プレア・ビビア寺院は9世紀末にクメール人が建立し巡礼地としてだけではなく、考古学的にも美術的にも価値があると言われる。
世界遺産にも登録されているプレア・ビビア寺院であり、2008年に世界遺産文化遺産として登録されたが、タイの領土なしには世界遺産としての登録基準③と④は認められず、カンボジアの領土のみを考慮し、登録基準①のみで登録されている。
また、カンボジアでは1970年代のカンボジア内戦にて遺産やインフラが被害を受けたが不幸中の幸にもプレア・ビビア寺院の被害は最小限にとどめることができた。
日本からの観光客は建物を見て感動するだけの人が多いように見えるが背景や歴史を知っておくとなんとも赴き深いことだろうと感じると思う。
日本の教育と将来を考える
SWOT分析というのがあり、強み(Strength)、弱み(Weakness)、機会(Opportunity)、脅威(Threat)」の頭文字をとってSWOTとなっている。
内的要因(強みと弱み)と外的要因(機会と脅威)に分けられる。
このような分析は大学院(社会科学)での研究でも役に立ったと思う。
筆者は大学時代は総合政策(Businesse and public policy)に属し、経営やマネジメント、マーケティング論といったものにはまった。
このビジネスに関する勉強は義務教育ではなされず、新鮮であった。さらに、社会に出てから使う機会があるので義務教育として勉強しておくべきであるとも思った。
日本では職業体験というのはほんとに短い期間でそれほど集中してなされないわけだが、北欧といった教育先進国では小学生のときから職業実習が課されており、若いうちから将来の目標や夢が明確になる可能性も高い。
日本では戦後から教育体制がそれほど変化せず、古い価値観が根付いたまま教育が行われているように感じられ、日本はほんとうに教育において先進国なのか疑問を抱かざるを得ない。
HSPと発達障害の違いと類似点
HSPやらHSS型HSPというのがネット上で有名でありよく知られるようになってきたが、これと発達障害と呼ばれるASDとADHDには類似点があることから違い及び類似点に触れていきたい。
HSPはアーロン博士によって作られた概念で、範囲としては心理学ではあるが臨床心理学ではなく診断基準であるDSMには載せられていないため病気ではないとされる。
2018年ごろからHSPについて知られ始め、繊細で凹みやすいHSP(Highly Sensitive Person)、人一倍繊細な人とされており、全体の20%いると言われている。HSS型HSPはHSPのうちの30%、すなわち 0.2×0.3=0.06 より全体の6%とされている。筆者は国籍や生まれた地域によって差があり、日本はHSPは20%より多いのではないか、また周囲のアジアやアフリカの出身の方は日本よりもHSPは確実に少なく、日本人は世界で見たときかなり繊細な気質だと感じている。HSPの割合は地域や国によって変わると言える。
HSPも発達障害も二次的な障害(うつ病などの精神疾患)になりやすいことから似ている部分があると言える。
HSP
深く情報を処理する 場や人の空気を深く読み取る能力に長けているが、情報を読み取りすぎるために必要以上に疲れてしまう原因にもなる
刺激を過剰に受けやすい
共感性の高さ
心の境界線が薄いorもろい
疲れやすい
自己否定が強い
ASD
空気が読めないor空気を読みすぎる
疲れやすい
自己肯定感が低い
感覚過敏
傷つきやすい
コミュニケーションが不得意
内向的
こだわりが強い
ADHD
空気が読めないor空気を読みすぎる
多動(衝動的)
不注意
好奇心が強い
感覚過敏
傷つきやすい
外向的
HSS型HSP
刺激を求めるのに疲れやすい
好奇心旺盛
社交的なのに疲れやすい
斬新な発想力
精神科や心療内科では臨床心理学や医学的観点から診断するため、HSPという概念がないため、HSPやHSS型HSPの人が発達障害と診断されることも多い。
個人的な観点からASD≒HSP ADHD≒HSSだと思っており、
ASDもHSPも表現は違えど、内向的であり、ASDの感覚過敏、HSPの繊細さは言葉は違えど、解釈としては似た意味になりうる。「空気を読む」と「共感性」もある意味似ている。
個人的には8割ほど類似点があるのではと思う。(人の価値観や解釈によって変わりうる)
HSSとADHDも「刺激を求める」と「衝動的」というのも、ある意味似ていて、筆者はほぼ同じであると解釈している。
しかしながら、HSPは臨床心理学ではなく、発達障害よりは認知度が低く、医師もHSPについて知らないことは多い。
ゆえに、HSPが発達障害と診断されうる理由であろうと考える。うつになりやすいという特性があるのはある意味「障害」ではあるのかもしれない。
ファーというおしゃれのために動物が犠牲になっている!
動物性のファーを使用した服はおしゃれではあるが、その背景に動物が犠牲となっており、動物のファーを使うことへの反対運動が起きていたことも過去にあった。
今では人工ファー(エコファー)があり、動物のファーではなく人工のファーを推奨しようという動きもある。
中国では動物からファーを生きたまま毛だけを剥がすといった動物の命を大切にしていないといったことが反対運動のきっかけとなっている。
しかしながら、人工ファーは動物からのファーよりも高いといった背景から普及には至りにくいという課題もある。
私たちはおしゃれのために動物の命を犠牲にしていることを忘れてはならず大切に扱わなくてはならない。
科学の進展ーガリレオ衛星を例にー
ガリレオ衛星といって、イタリアの天文学者であるガリレオ・ガリレイによって発見された木星の4つの衛星であり、当時ガリレオが作成した望遠鏡でも見ることができた。
イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストの4つがガリレオ衛星であり、クイズをやっている人やクイズ好きの人ならご存知であろう。
この衛星については水があることから生命体が存在するのではないかと昨今注目が集まっている。私も一時期かなりハマっていた。木星の衛星はかなり多いが特に興味深いのがこの4つのガリレオ衛星である。
17世期に発見されたが、宇宙は広大であり、わからないことは多い。今現在の科学では10%も我々を取り巻く森羅万象について判明していない。実際にもこのガリレオ衛星についてもまだ判明していないことが多い。
諸事万端のことについて未だにわからないことが多いことは、逆に考えれば考えるほどワクワクするし、ぼっと生きているわけにはいかない。多くのことを特定するにはあらゆる研究が欠かせない。
私も研究に関する仕事に携われたらいいなと思う。
幸福度と社会的地位の関係
PISA*1のセカンダリーデータよりカンボジアにしぼって「幸福度」と経済、社会及び文化的な地域の関係について単回帰分析を引いてみたが関連性がなかった。
幸福度に関する研究は多く、ブータンでは国民総幸福(Gross National Happiness, GNH)が推進されていること、日本ではあまり幸福度が高くないなどさまざまなことが確認されている。
以下の先行研究ではGDPやジニ係数が幸福度と関連性がないことが述べられており、
幸福度は概ね経済指標と関連していることも述べられている。
また結果として「所得や幸福度の公平性という観点からは、地域を単位に分配政策を考えるのではなく、個人ないし世帯をターゲットして政策を講じることが適当であろう」ということが述べられいる。
とある人が成功と幸福度は違うと述べており、実際にも社会的に成功していて巨万の富を築いていても幸福ではない人、裕福ではないけど、心が満たされている人など人によって様々である。
できれば皆幸福でありたいものだが、筆者の観点としては認知の仕方や感情、自己肯定感などが関係していると思う。
<参考文献>
- https://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/10j043.pdf?&sa=U&ei=lj2rVJeNJMyrogTM2oDABA&ved=0CCcQFjAD&usg=AFQjCNGMQH1njZ7zPXRFNguiW8Ps7yXxLQ
- https://toyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=7285&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1
*1:Programme for International Student Assesmentの略で「生徒の学習到達度調査」と訳される
宿題の意義は?
日本では学校でも塾でも宿題が課されることは多いが宿題は本当に意義のあるものなのであろうか。
特に日本は課題の量は多めであり、出さなければペナルティがある。筆者は多くの生徒がいやいややっていること、答えを丸写しする、計算式を省略する手抜きといったものを目の当たりにしてきた。
とりわけ筆者がアルバイトをしていた塾では90分の授業に加えて90分の復習という形の宿題を課すというルールになっていた。90分の課題というのはもちろん生徒にとっても重荷であり、また彼らは学校から出された宿題もある。
学校の教師は出された課題をしっかりやれば必ず力がつくといっていたが、量は凄まじく生徒には過度の重荷とプレッシャーを与えうる。
高校生という年頃はある意味精神疾患になりやすい時期でもあり、果たして学力だけを上げることばかりに執着しても社会参加への適応力はつかない。
近年では受験戦争という言葉も使われたりするわけだが、受験戦争による弊害からうつ病などの精神疾患、燃え尽き症候群といったものがある。
宿題というのはもしかすると精神疾患を助長する要素でもあり、できるだけ多くの課題をこなすことは学習面での力はつくが、強制力のある義務であることと多くのエネルギーの消費、受け身であることからの社会に出てからの思考停止といったことにつながり、実は弊害も多いのかもしれない。
むしろ宿題は最低限にし自ら考えて主体性をもち勉強するほうが効率がよくまた自ら考えて行動することが、社会への適応にもつながると考察する。