ASDとADHD/日本とアメリカの定義と違い

世間ではASD,ADHDに関して普及しはじめた。それは一般的に発達障がいと言われている(ここでは該当者を配慮して「障がい」と表記する)。そこでASDADHDの違いについて述べたいと思う。ASD自閉症スペクトラム又はアスペルガー症候群と呼ばれている。社会的なコミュニケーションに困難をきたすものである。それに対してADHDは、注意欠陥・多動性障がいと呼ばれ、注意力や衝動性、多動性に問題があるというものである。また似た障がいにLD(学習障がい)もある。

定義については色々なサイトでバラバラなことが書かれているので文部科学省の(https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/004/008/001.htm)のデータを日本における障がいの定義としたい。一般的には中枢神経系の機能不全と言われている。彼等は学校生活や社会において生きにくさを感じる。

これは日本の定義であり、アメリカの定義に目を向けてみたいと思う。The World Psychiatric Associationが2003年に出した論文によるとADHDの定義や症例は日本のADHDの定義と似ている。子どもの多動について主に述べられていた。次にASDの定義に移ろう。文部科学省に似たようなことが書かれていたものの細かいところを見ると違いがあった。アメリカではほとんどが子どものときにASDと診断されるのである。しかし日本では大人の発達障害という言葉が流行っているように大人になってからASDADHDといった発達障がいと診断されるケースがある。ここが日本とアメリカの大きな違いであり、ASDの専門家もおかしいと言っていた。またその専門家曰く、ASDは「内向的、空気が読めない、人の感情が読み取れない、人に興味がない、人と目が合わせられない、鈍感」と述べていた。一方でADHDは「主に外向的、空気を読みすぎる、人の感情を読み取ろうとしすぎる、人に興味がある、敏感」と述べていた。ASDADHDは真逆の傾向をもつらしい。その専門家曰く、「日本のASD患者はおかしい、人に興味がないはずなのに家に引きこもってマンガを読む」と。

 しかしながら日本の発達障がいの本にはASD,ADHDは症状がほぼ一緒と書かれている本もある。ほぼ一緒であれば症状を分ける必要性がない。日本の定義は間違っているのか、それともアメリカの定義は正しいといえるのか、それとも文化による影響力が大きいのか、文化が障がいというものを測る基準になっているのか、目に見えないものなので複雑極まりない。

 加えて、国によって障がいの定義が違うとしたら「障がい」とはなんなのかのいうことになる。もしかすると生まれた処遇、場所によって「発達障がい」と判断されなかったりするのかもしれない。「障がい」とはなんなのかみなさんに考えるきっかけになったらと思う。また次の投稿では「発達障がい」とりわけASD,ADHDの能力と性質を論文を元に分析して述べたいと思う。

 

 

(参考文献)

https://www.ncnp.go.jp/hospital/patient/disease06.html (2020年3月14日アクセス)

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/004/008/001.htm (2020年3月14日アクセス)

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1525089/ (2020年3月14日アクセス)

https://adhd-institute.com/burden-of-adhd/epidemiology/gender/ (2020年3月14日アクセス)

#ASD #ADHD #発達障害