差別とは

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差別がなくならないことにおいて社会的な要因がある。コロナにおけるアジア人差別があったように世界規模で日常的におきている。私は障がいに関するところでもアルバイトなどを通じてきたが「障がい」というレッテルを貼って見下されるケースが多いように感じた。ここにおいて「区別」と「差別」について「してもいいもの、害を与えないもの」、「してはいけないもの、人に害を与えるもの」とする。個々人の能力や個性を尊重することなくその社会的カテゴリーに属するということで不当な扱いを受けることになる。文化・宗教、価値観を配慮、尊重することなく個人の特性を無視していることは頭の柔軟性を欠けている。

松本清張の「黒地の絵」や村上龍の「限りなく透明に近いブルー」では例として、黒人が日本人の主人公より劣等な人間として描かれている。

偏見やステレオタイプが差別を生む最初の要因となる。

また、外国で事件が起きたときにまず人種を特定し、例えば加害者が白人なら、ヘイト・クライム(人種嫌悪による犯罪)でなければ人種を報道しない傾向がある。例として日本のマスコミは「黒人=犯罪者」「黒人は怖い」「黒人は危険」という先入観がある。現代アフリカのことを取り上げても資源の話や民族紛争、内戦のことばかり取り上げられて黒人の歴史などには触れられないケースがある。日本人は日本人であるが故に差別を受けないが少数派である外国人は差別の壁に立ち向かうことになる。同じく障がいをもっている人は、障害者に対する誤解、偏見や差別にあふれている一般社会の冷たいまなざしを受けることになる。マイノリティに対する偏見、差別意識、差別的行動に関しては無言である。

勝利を得るためであれば「善」「悪」は関係なく「倫理」「人道」「正義」が曖昧になる。「国際化」が「国塞化」になってはならない。