イスタンブルの歴史地区(世界遺産)と歴史的背景

トルコ共和国に「イスタンブルの歴史地区(Historic Areas of Istanbul)」という世界文化遺産がある。イスタンブルの歴史地区の主な建造物としてアヤ・ソフィア、トプカプ宮殿スレイマニエ・モスク、ブルー・モスクがある。なかでも私はアヤ・ソフィアが好きである。

アヤ・ソフィアは、もともとはキリスト教の大聖堂。高さ55m、最大直径31mにもおよぶ巨大ドームを有したバシリカ式聖堂で、ビザンツ建築の最高傑作と評される。ギリシャ正教会の総本山として信仰を集めたものの、コンスタンティノープル陥落に伴いモスクに改築され、聖堂内に飾ったイコンのモザイク画が漆喰で塗り込まれていたらしい。トルコ初代大統領のケマル・アタチュルクの命令のもと、無宗教の博物館となり、現在ではモザイク画も復元されている。アヤ・ソフィアがモスク(イスラム教)と大聖堂(キリスト教)の融合化した建造物であり、とても興味をそそられた。そもそもトルコ北西部に位置するイスタンブルは、ローマ帝国ビザンツ帝国オスマン帝国といった大国の首都となった歴史をもつ都市である。(ちなみに1923年、トルコ共和国成立以降の首都はアンカラ。)

歴史として、最初はギリシャ都市国家メガラのビザスが建設した都市からはじまり、ビザスにちなんでビザンティオンと命名。ただ三方を海で囲まれ、交易に適していた上に軍事的な価値も高かったため、スパルタ、アテネアレクサンドロス大王率いるマケドニア王国と、次々に支配者が変わった。二世紀末、ローマ帝国が占領するとビザンティウムに改名。さらに4世紀には皇帝コンスタンティノポリスコンスタンティノープル)とし、ローマからこの地に遷都した。その後、395年にローマ帝国が東西に分裂したことによりビザンツ帝国の首都となり、1453年オスマン帝国によりコンスタンティノープルが陥落するまで続いた。ビザンツ帝国滅亡後、コンスタンティノープルオスマン帝国の新首都となるなど、イスタンブルという名が定着するようになった。このような長い歴史がイスタンブルにはある。歴史を知ることでより世界文化遺産を楽しむことができるものの一つである。