科学の進展ーガリレオ衛星を例にー

ガリレオ衛星といって、イタリアの天文学者であるガリレオ・ガリレイによって発見された木星の4つの衛星であり、当時ガリレオが作成した望遠鏡でも見ることができた。

イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストの4つがガリレオ衛星であり、クイズをやっている人やクイズ好きの人ならご存知であろう。

この衛星については水があることから生命体が存在するのではないかと昨今注目が集まっている。私も一時期かなりハマっていた。木星の衛星はかなり多いが特に興味深いのがこの4つのガリレオ衛星である。

 

17世期に発見されたが、宇宙は広大であり、わからないことは多い。今現在の科学では10%も我々を取り巻く森羅万象について判明していない。実際にもこのガリレオ衛星についてもまだ判明していないことが多い。

 

諸事万端のことについて未だにわからないことが多いことは、逆に考えれば考えるほどワクワクするし、ぼっと生きているわけにはいかない。多くのことを特定するにはあらゆる研究が欠かせない。

 

私も研究に関する仕事に携われたらいいなと思う。

幸福度と社会的地位の関係

 

PISA*1セカンダリーデータよりカンボジアにしぼって「幸福度」と経済、社会及び文化的な地域の関係について単回帰分析を引いてみたが関連性がなかった。

 

幸福度に関する研究は多く、ブータンでは国民総幸福(Gross National Happiness, GNH)が推進されていること、日本ではあまり幸福度が高くないなどさまざまなことが確認されている。

以下の先行研究ではGDPジニ係数が幸福度と関連性がないことが述べられており、

幸福度は概ね経済指標と関連していることも述べられている。

また結果として「所得や幸福度の公平性という観点からは、地域を単位に分配政策を考えるのではなく、個人ないし世帯をターゲットして政策を講じることが適当であろう」ということが述べられいる。

 

とある人が成功と幸福度は違うと述べており、実際にも社会的に成功していて巨万の富を築いていても幸福ではない人、裕福ではないけど、心が満たされている人など人によって様々である。

 

できれば皆幸福でありたいものだが、筆者の観点としては認知の仕方や感情、自己肯定感などが関係していると思う。

 

<参考文献>

 

  1. https://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/10j043.pdf?&sa=U&ei=lj2rVJeNJMyrogTM2oDABA&ved=0CCcQFjAD&usg=AFQjCNGMQH1njZ7zPXRFNguiW8Ps7yXxLQ
  2. https://toyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=7285&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

 

 

*1:Programme for International Student Assesmentの略で「生徒の学習到達度調査」と訳される

宿題の意義は?

日本では学校でも塾でも宿題が課されることは多いが宿題は本当に意義のあるものなのであろうか。

 

特に日本は課題の量は多めであり、出さなければペナルティがある。筆者は多くの生徒がいやいややっていること、答えを丸写しする、計算式を省略する手抜きといったものを目の当たりにしてきた。

 

とりわけ筆者がアルバイトをしていた塾では90分の授業に加えて90分の復習という形の宿題を課すというルールになっていた。90分の課題というのはもちろん生徒にとっても重荷であり、また彼らは学校から出された宿題もある。

 

学校の教師は出された課題をしっかりやれば必ず力がつくといっていたが、量は凄まじく生徒には過度の重荷とプレッシャーを与えうる。

 

高校生という年頃はある意味精神疾患になりやすい時期でもあり、果たして学力だけを上げることばかりに執着しても社会参加への適応力はつかない。

 

近年では受験戦争という言葉も使われたりするわけだが、受験戦争による弊害からうつ病などの精神疾患燃え尽き症候群といったものがある。

 

宿題というのはもしかすると精神疾患を助長する要素でもあり、できるだけ多くの課題をこなすことは学習面での力はつくが、強制力のある義務であることと多くのエネルギーの消費、受け身であることからの社会に出てからの思考停止といったことにつながり、実は弊害も多いのかもしれない。

 

むしろ宿題は最低限にし自ら考えて主体性をもち勉強するほうが効率がよくまた自ら考えて行動することが、社会への適応にもつながると考察する。

 

 

コロナ禍のふりかえりーオンラインとオフラインー

友人と話す近況を機会がありオンラインも通勤時間の節約、便利さといったいい点があるけど、オフラインのほうが人間らしいコミュニケーションも取れるしオフラインによるコミュニケーションのほうが楽しいという会話をし一長一短であることが確認された。オンラインやSNSでのかかわりは空虚であるという意見もある。

 

ちなみに2001年から日本IBM株式会社がはじめてテレワークという概念を確立させ、家族との交流時間の増加、通勤の混雑緩和、子育て・介護の利便性といった利点があったらしい。

 

新型コロナウイルスの蔓延から約一年が立ち、コミュニケーションの方法もzoomといったオンライン、また仕事においてもオンラインで在宅ワークもある程度普及した。

 

日本では特に自粛という風潮が強く今年は思い出が少なかったという意見は多い。

 

友人は就活をしておりグループディスカッションをオンラインで行ったそうでいつ話せばいいのかわからないと言っていた。オフラインでは第六感などから場の空気を把握しやすいかもしれないが、オンラインでは難しいことが挙げられる。

 

コロナ禍前であればzoomといったオンラインツールは普及しておらずそもそもzoomというものを多くの人が知らなかった。通勤やお金の節約になりうるオンラインツールは便利だと思われていた時代もあったが実際疫病による蔓延が一年も続き、不便さの多さを痛感している人は多いと思われる。

 

コロナ禍によって時代は大きく変わる、いや変わらないといけない状況下に追い込まれたというべきであろう。

 

先が見えない中で飲食店や観光業への打撃は大変大きく、今後の情勢は極めて予想しがたい。コロナ禍により就職活動にも制限がある。

反面IT技術及び環境の促進といった良い面もあるが日常生活の変化は凄まじい。

 

「備えあれば憂いなし」という言葉があるが先の見えない昨今の状況下でどう対応していくか課題である。変化の激しい時代には不適切なワードかもしれない。

変化に苦手な日本社会は未だにハンコといった理由で出社を余儀なくされるわけだが、今後求められる生き方は頑なになることなく、変化に臨機応変かつ柔軟にときには拘りを捨て生きていく必要もあるだろう。

 

新型コロナと大学入試ー教育格差に着目してー

1/16,1/17は大学入試である。昔の名前はセンター試験(1990-2020)と呼ばれていたが、今では大学入学共通テスト(2021-)と呼ばれている。以前のセンター試験と比べると、センター試験はオールマークシート形式であり、今回からはじまった大学入学共通テストは思考力・判断力・表現力を重視した出題がある。

現在の大学入試制度については同じ試験を受けるため、一見公平性があるように感じられるが、今では推薦入試といった入試制度を受けることなく入ることもできる。むしろ推薦は昔と比べると増加傾向にある。

さらにはコロナ禍においては平等性があるとは到底言いにくい。2021年からの新しいスタイルの試験に加えてコロナ禍という二重の変化が今回反映され、高得点を取るにあたり柔軟性も欠かせないと推定できる。

特にコロナ禍にて家で勉強できる人には問題ないかもしれないが、家で勉強できるタイプではないため、今までは図書館、公民館、塾の自習室を使うことが可能であったが今では制限がある。さらに家に自分の部屋及び空間がない場合はさらに痛手であり、勉強が捗るとは言い難い。

財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実について書かれたブログもあり、「教育の機会平等」という原則には沿わない不平等なケースが日本には見られることを論じていた。実際には裕福な家庭の子ほど、塾に行けたりよりよい教育資源を得られる。

新型コロナウイルスの蔓延に際してもウイルスは万人に影響を及ぼすが実際はアメリカにてリモートワークのできない黒人のほうがウイルスの影響を受けている。

同様にウイルスの蔓延は子どもの教育に影響を及ぼし、より裕福な家庭ほど、教育資源を有効活用できるといった背景はもしかすると、学歴、教育格差を拡大させるのかもしれない。

結婚は人権侵害?

だいぶ前に録画して見ていた「そこまで言って委員会」を見た。

刑法に「不倫罪」を

というテーマに関して討論をしていた中で、「結婚は人権侵害」という発言には趣を感じた。

不倫、不貞行為はニュースで取り上げられることが多く、昨今では芸人の渡部さんで有名である。

不倫及び不貞行為は海外では死刑に準ずるところあるが、多くにおいて重い刑ではなかったりする。

そもそも結婚というのは、どういう意義があるのであろうか。

またなぜ一夫一妻なのだろうか。

世間では結婚するのが当たり前の風潮があるものの、結婚をしてしまえば不貞行為(浮気)をすることができないことはもちろんのこと、当番組では「永久就職」という言葉に例えられていた。

人間本来に性欲が伴っているように恋愛や性行為は本来自由なものであるという意見もある。

議論はここまでとして、現代において「結婚」は責任を伴うものであり、世間ではできるだけ早く結婚したほうがいい、会社にて結婚や出産を促進するいわゆるセクハラやパワハラがあるが、本来は自由なものであると思う。

世間のイメージや偏見等にしばられることはないだろう。

子どもの勉強へのモチベーションを上げるには夢を持て

修士論文を書く際に二次データとしてPISAPISA for Development)のデータを使用し、対象国をカンボジアとした。調査の一環として「親が教育の重要性を伝える」が学力に影響を与えず統計的に有意性は認められなかった。家庭要因に着目した際、PISAの質問票の家庭に関する尺度は漠然としていたため、家庭環境を明確に想像することが難しかった。

 

前置きはここまでにして、どこの国においても子どものうちにどういう風に将来なりたいかを目標立てることの重要性が示唆されており、小学生ごろの年頃においては将来の目標を抱いている子どもは1%に満たない。

北欧の国では若いうちに学校のプログラムとして職業体験を積極的に行っているわけだが、日本の学校教育においてそのような活動は顕著ではない。

筆者の考えとして、勉強の重要性を言われても勉強する気になる子は少なくむしろ出来るだけ早い段階に目標を立てることにより、勉強へのモチベーションは湧くと思う。

実際にもプロスポーツ選手になっている人は若いうちにプロになると決めている人も多い。

漠然と勉強をやらされている子どもは多いと感じるが、夢を持ち将来に希望が持てる子どもが増えれば教育水準だけでなく、幸福度やQOLにも影響があると思われる。

そのためには日本のあるべき教育制度や体系を変えなくてはならない。